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余臭 [ちょっと哲学的]

〈民主〉と〈愛国〉  戦後日本のナショナリズムと公共性  小熊英二


1968(上)を読むのであれば予習的に読んでおくべき本を紹介しておこうか、とまたも膨大(P966!)なことを言うのだが、全共闘の時代を一応は包括しているのであるが、「〈民主〉と〈愛国〉」ではその時代とパラレルであったベトナム反戦運動にスポットがあてられている。なので「1968」では、例えば三派全学連が、いかにして佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争をしたかを詳述しているのだが、「〈民主〉と〈愛国〉」ではベ平連のエンプラ寄港反対デモに少し触れるに留まっている。これはそれぞれの本のテーマの違いによるもので、「〈民主〉と〈愛国〉」では、『新しい時代にむけた言葉を生みだすことは、戦後思想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえを行ってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが可能になる。そして本書を通読した読者にとって、そのための準備作業は、すでに終わっているはずである。』(「〈民主〉と〈愛国〉」P829)と結論付けている。「1968」については、ヒント的に先回書いたことと重なるので、また読了時に騙りたい。
さて、絓秀実には不評である「〈民主〉と〈愛国〉」である。先ほどのベ平連や鶴見俊輔を無批判に受容し検証なく分析した結論に対して手厳しく批判されている。実際、絓の1968年の方を読むと、実にベ平連の裏がよくわかるのである。しかしながら、誹謗中傷という類ではなく、生産的な批判精神であり、小田実や鶴見俊輔を俎上にあげるのではなく、第三の男として山口健二に鋭くスポットを当てているのだ。この考察というものは、絓が批評家であるからできたということを超えている。翻って、小熊は社会学者として実証できる範囲に留まっているのだとすれば、うーん、それでも「日和見主義」とニューレフトからは揶揄されるだろう。
さて、1968年の全共闘運動は直接「〈民主〉と〈愛国〉」の分析の埒外としながらも、この運動の主体である学生たちによく読まれていた吉本隆明の変節を紐解くのにベース的に概略されている。この吉本隆明を戦中派の左派系として、この章の後に戦後派の右派系論壇者として江藤淳を分析している。両者とも戦後の高度経済成長期の主要な思想家、評論家であり、そこに纏わる言説から言語概念の変遷を分析しているのであるが、両者が戦後民主主義批判を展開する上で攻撃の対象としていたのが、丸山真男など戦前派となる進歩的文化人たちであった。「進歩的文化人にカテゴライズされる旧世代の左翼人」を賛美するということ、それに代表される丸山真男への好意的解釈がこの本の前提にされるとして、丸山を批判しつづけた吉本隆明や新左翼に対して冷淡に写るのはしごくもっともなことだ。それに、吉本が社会的パラダイムの変遷、高度経済成長期から大衆消費社会へ移り行く中で、簡単に言うと家族主義的になってしまったことまで追っていくのであるが、まぁ、これは大半のノンセクト・ラディカルまで含めた同世代人たちもそうした「新しい家族」を形成していくのと同列ということだけだろう。詩人とは、新しき言葉を紡ぐ者のことを言うのであるが、吉本は詩人である。小熊が「名前のないもの」に新たな意味と名が付与されていく過程を分析するときに、社会学者として「新しき言葉」では説明しない。いや説明できないのであろう。文芸批評家であればそれは可能なのかもしれない。一応、カルチャラル・スタディーズとしてもアカデミーの領域での言説にはそうした限界を伴わざるを得ないのかもしれない。まぁ、それでも「1968」でも当然吉本は頻出してくるのであるが、その「詩的」な文言はほとんど記述されていないから、吉本や新左翼に対してはやっぱり冷淡かもしれない。
まぁ、兎も角もである。その時歴史がどう動いたか、を概略する意味でも素読して時間が惜しい本ではない。それを参照しつつ、ある一点を深化するときに誤謬があるのであれば、読者自身で訂正しておけばいいことだ。それとも、そのまま誤読しておいてもいいかもしれない。実際、全共闘時代の若者は吉本を大いに誤読して受け入れていたのでもあるから。


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