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協働通信 [法の下の平等]

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて 佐藤優


インパーソナルで紹介した浅羽道明が05年当時に「平成の名著」と絶賛していたこともあって、例の西村検事との対決がどんなものか非常に興味をそそられたので続けて借りてきた。まず、復習として、「インパーソナル」とは花田清輝という左翼評論家が晩年、好んだ用語で「経済上の利益を度外視した機能的な人間関係」という意味合いにサイコは取っていたのだが、佐藤の場合は将来的保証上の利益をも度外視した、謂わば「義理」と信条と道理とを曲げずに、西村検事と「機能的な関係」を結ぶこととなったようだ。西村検事(東京地検特捜部)が目指すところは、佐藤供述から得られる材料をもとに鈴木宗男逮捕(結局は別件のやまりん事件においてあっせん収賄容疑で逮捕)の突破口を開くことに、方や佐藤が目指すところは、「国策捜査」により逮捕された我が身において無罪を勝ち取れない諦観を抱きながらも、「歴史」の誤謬を記するための供述調書を作成させることにあった。西村検事においても宗男逮捕の突破口として佐藤の供述調書を作成することが当初の目的であったわけだが、互いの意図するところはた大いに違ってはいても調書作成という目的に互いが収斂していくこととなるのである。佐藤にとっては逮捕自体がまず不本意で道理に合わないわけで、当然罪状については全否認を通すわけであり、ただ供述にあたって、鈴木先生に累が及ばないように徹底しなければならず、当時佐藤が率いていた国際情報第一分析課内に設置されていた「ロシア情報収集・分析チーム」に被害者(逮捕者)が広がらないように腐心しなければならず、そうした桎梏の中で、しかもまさに囚われの身で「歴史」を刻まなければならなかったのである。こうなると西村検事はラクラク調書を作成できるかに思えるのであるが、佐藤がはぐらかして作成を阻止しているわけでもなく、道理として否認はするが供述しているため、要は特捜の欲しい供述が得られないという困難に突き当たるのである。当然、得たい供述のために西村検事は、いろいろと「ひっかけ」てくるのであるが、佐藤はことごとくそれを避けながら供述していくので、ある程度取調べが進んだ段階で、西村検事はある意味佐藤に歩調をあわせる戦術に切り替えていく。互いに感情移入はしないのではあるが、佐藤も上記の「義理」と道義と信条を「宣言」するに至る。けして手の内を明かしているわけではなく、「国策捜査」が道義を逸脱している不当に対して検察側の道理が何かを応えさせるのである。「国策捜査」とは何か。時代のパラダイムが変換するときに、体制内の旧体質的な違法性に世論という悪夢が過剰に処罰要求を高めるがために、それを背景として「訴追有りき」をもって象徴的人物を特定して断罪する捜査方法である。しかしながら、西村検事にしても、この佐藤逮捕においてはその「巨悪」の排除の理由を図りかねていたようである。佐藤の容疑は、国後島ディーゼル発電施設事件における偽計業務妨害罪支援委員会不正支出事件における背任罪であるが、世論がほんとうに巨悪=鈴木宗男関連事件を暴くことを欲していたのだろうか。旧体質を排除せんがために特捜は罪を組み立てるのであるが、それは排除すべき体質であったのだろうか。兎も角も、「訴追ありき」である。有効な供述を得るために、西村検事は外交について勉強し、佐藤に質問し、外交とは何かを知っていく。そうした直接には罪状を確定する作業とは関わりのないところをも、佐藤を知るがために外交について知識習得するのである。佐藤は特に変わった被疑者であったのだが、それを取り調べることが出来て、調書作成までこぎつけたのは、西村検事の特捜としてのプライドと納得がないところには関わらない性格だからできたことのようだ。佐藤もそうした西村検事の誠実さを認めるに至り、あるレベルまでの迎合を行うこととなる。しかしながら馴れ合いの関わりには堕すことなく、まさにインパーソナルな調書作成の協働作業が進められていくこととなる。

獄中年表
02/05/14 支援委員会不正支出事件における背任容疑で逮捕
     17 取調べで西村検事の攻撃始まる
   6/04 背任罪で起訴。勾留延長。
     19 鈴木宗男衆議院議員あっせん収賄容疑で逮捕
       これに抗議して48時間のハンスト決行
   7/03 国後島ディーゼル発電施設事件における偽計業務妨害容疑で再逮捕
     24 偽計業務妨害罪で起訴。再勾留延長。
   9/17 第一回公判
03/08/29 鈴木宗男氏保釈
  10/08 東京拘置所から保釈される(勾留日数512日) 

背任罪で起訴された後に保釈を請求することも可能であったのだが、敢えて佐藤は、逆に勾留延長を求めている。ここには佐藤のひとつの戦略として「クゥオーター化」を継続することがあった。「クゥオーター化」というのは外部接触を絶つことによって情報を遮断することを言うのであるが、娑婆にでることは自らになんらかの情報が入ってしまい、またそれを漏洩する危険に晒されることを意味する。鈴木に義理立てしているのであるが、敢えて拘置所に留まることで、任意聴取期間ではあるが検察庁の動向を探ろうという意図にも基づいていた。そしてなんらかの動きがあれば、唯一の接見者である弁護人を通じて知らせるということを意図していたのだ。それでも鈴木は逮捕される。それに対して佐藤は、強いメッセージを込めて抗議のハンガーストライキを行うのである。そして再逮捕、公判と流れていくのであるが、保釈の請求の機会は常にあったようであるが、敢えて留まっていたようである。それにしても512日に及ぶ勾留期間というのは長い。しかして、最高裁まで上告するのであるが、ついに09年6月30日付で上告が棄却され執行猶予付きで刑が確定してしまった。第一審の被告人最終陳述において佐藤は、時代のけじめとしての今回の「国策捜査」が何であったのかを述べる。鈴木宗男というケインズ型公平配分方式の社会から小泉純一郎というハイエク型傾斜配分方式の社会へとパラダイムが転換されたことで、旧態を巨悪として排除するためのものと。
さて、再度パラダイムは変換されたのではあるが、小泉にはなんら「国策捜査」は今のところ及んでいない。政権交代によって民主党が与党となったのであるが、その幹事長に「国策捜査」的な動きはあるのだが。佐藤は、「歴史」の断層で不条理にも社会的な制裁を受けることとなった。「歴史」としてそのまま刻まれる誤謬を、後数十年後に公開可能となる外務省文書によって裏付けるための公判闘争。彼はそう思おうとしているのだろう。そして、行間からは地検特捜部の本質的な「排外的ナショナリズム」に裏打ちされた権力が、宗主国たるアメリカによって操作された帰来を感ぜずにはいられない。そう見ることによって、今回の一連の民主党幹事長へのアクセスというものも腑に落ちる感じである。



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