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吉本隆明の時代 [ちょっと哲学的]

吉本隆明の時代  絓秀実


いやー、この本は多分、ここに出てくるありとあらゆる人(当然、「普遍的」知識人、「種別的」知識人、「聖職者的」知識人、「自由浮動的」知識人も含む)について多少でも知っていなければ、とてもついていけないような本だとは思うのだが、何故かサイコにはすんなり入ってきた。まぁ、例によって、〈民主〉と〈愛国〉を一応、通読しているから背景的なものがあるのではあるが、はっきり言って、背景でしかないのである。絓の1968年は非常にリンクするのでどちらかといえばそちらが参照先にもなるのだろうが、吉本隆明の時代は60年安保が主なテーマであるから、重複する部分に留まっているのである。ではなんですんなりいけたのか。簡単に言ってしまうと、このブログで、特に思いたって最近紹介しているような著述を取り敢えず読んでいたから、ということである。もうちょっと敷衍すると、それこそサルトルの時代背景というところを、デリダの「パピエ・マシン」で取敢えず知っていて、個別にレヴィナスの入門書レヴィナス入門なんかも読んでるので、サルトルとの関係、あるいはフーコーの間接摂取とメルロポンティをちょっと読んでる、というようなニューアカ通過者であるサイコにとってはそれら知の集積が、これに書かれているような感慨でもあるからである。決してニューアカ(ポストモダン)を書いているわけではないのだが、十分そこから吉本隆明の時代に遡及できているのである。
いきなり結論的な部分に入るが、P350で、 前略 - ここでは、吉本のアナルコキャピタリズム風のリバタリアニズムが発揮されている。 - 中略 - 津村の記憶を失ったあとの新左翼や市民主義、文化左翼たちの主張の現在にいたる歴史は、そのことを証明している。(注釈 - たとえば、朝鮮人などの「従軍慰安婦」問題を主要な契機とした、九〇年代後半の高橋哲哉(『戦後責任論』)と加藤典洋(『敗戦後論』)の論争を見よ。これが、津村と吉本の論争の劣化コピーであることは明らかである。)
まず、「アナルコ~」というのが意味をとりにくいと思うのでサイコ的に砕くと、無政府資本主義風の自由至上主義ということかと。津村喬と吉本の論争というのは、例えば、言葉狩り的な批判(津村)に対して吉本が支離滅裂なのだけれど、差別語を差別の問題においても直裁的に使用して説明すべきことをいっている。この吉本の論法を、絓は「倫理主義を「否認」することで、倫理フェティシズムにおちいる」こととして、七・七華青闘告発を通過した新左翼諸党派の末路に言及しているわけである。そして、注釈で文化左翼?のトンデモを告発しているわけだ。このページがこの本の全てを象徴しているといっても過言でないほどに、このテクスト内に凝縮されている。
後、ついでに例の「〈民主〉と〈愛国〉」てあるけれど、この〈 〉というのが、いわゆる吉本隆明シンパたちには「自立」マークと言われていたことは初めて知った。いや、それで絓が、この横領に対して、もっとちゃんと吉本を論ぜよ、というのであろう。証左に、絓は決して吉本を全肯定しているわけではなく、大いに間違いを指摘しつつ、主な論争の相手の正論的なところも抽出しているのであるが、何故、吉本が論敵に勝つことができたのか、というところまで掘り下げているのである。そうした意味で、サルトルとのアナロジーでもって展開されるので、結論は
「資本主義が存続している限り、「革命的」知識人の問題はすべて未解決のまま残されている。そのことを無視して、吉本の「終焉」を語ることはできない。「サルトル」がそうであるように、「吉本隆明」も不断にれわれにつきまとい、回帰してくるのである。」P353
としている。
1894年、フランスでドレフュス事件という冤罪事件に端を発して、「知識人」による体制側への糾弾があった。作家エミール・ゾラが、軍部を中心とする不正と虚偽の数々を徹底的に糾弾した公開質問状(私は弾劾する)を大統領フェリックス・フォールに宛てたものとして新聞掲載したのだ。このアナロジーから、六〇年安保で知識人たちが権力に対して糾弾する行動は、日本におけるドレフュス事件であり、その中から「革命的」知識人が誕生してきた。その代表的、象徴的な存在が吉本隆明その人であった、ということである。同時代におけるアナロジーとしてのサルトルは、しかしながら絶対的というか圧倒的な支持によるヘゲモニーを掌握していた「普遍的」知識人であった。その差異は、サルトルの来日(1966年)で明確に意識されるのであるが、「サルトルの時代」は過去形なのだが、「吉本隆明の時代」は現在形なのである。
そして、その〈革命的〉な〈情況〉は、高度に資本主義である現代においてもなお継続している。なぜならば、資本主義自体が〈革命的〉に変革し続けるものであるからである。



余臭 [ちょっと哲学的]

〈民主〉と〈愛国〉  戦後日本のナショナリズムと公共性  小熊英二


1968(上)を読むのであれば予習的に読んでおくべき本を紹介しておこうか、とまたも膨大(P966!)なことを言うのだが、全共闘の時代を一応は包括しているのであるが、「〈民主〉と〈愛国〉」ではその時代とパラレルであったベトナム反戦運動にスポットがあてられている。なので「1968」では、例えば三派全学連が、いかにして佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争をしたかを詳述しているのだが、「〈民主〉と〈愛国〉」ではベ平連のエンプラ寄港反対デモに少し触れるに留まっている。これはそれぞれの本のテーマの違いによるもので、「〈民主〉と〈愛国〉」では、『新しい時代にむけた言葉を生みだすことは、戦後思想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえを行ってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが可能になる。そして本書を通読した読者にとって、そのための準備作業は、すでに終わっているはずである。』(「〈民主〉と〈愛国〉」P829)と結論付けている。「1968」については、ヒント的に先回書いたことと重なるので、また読了時に騙りたい。
さて、絓秀実には不評である「〈民主〉と〈愛国〉」である。先ほどのベ平連や鶴見俊輔を無批判に受容し検証なく分析した結論に対して手厳しく批判されている。実際、絓の1968年の方を読むと、実にベ平連の裏がよくわかるのである。しかしながら、誹謗中傷という類ではなく、生産的な批判精神であり、小田実や鶴見俊輔を俎上にあげるのではなく、第三の男として山口健二に鋭くスポットを当てているのだ。この考察というものは、絓が批評家であるからできたということを超えている。翻って、小熊は社会学者として実証できる範囲に留まっているのだとすれば、うーん、それでも「日和見主義」とニューレフトからは揶揄されるだろう。
さて、1968年の全共闘運動は直接「〈民主〉と〈愛国〉」の分析の埒外としながらも、この運動の主体である学生たちによく読まれていた吉本隆明の変節を紐解くのにベース的に概略されている。この吉本隆明を戦中派の左派系として、この章の後に戦後派の右派系論壇者として江藤淳を分析している。両者とも戦後の高度経済成長期の主要な思想家、評論家であり、そこに纏わる言説から言語概念の変遷を分析しているのであるが、両者が戦後民主主義批判を展開する上で攻撃の対象としていたのが、丸山真男など戦前派となる進歩的文化人たちであった。「進歩的文化人にカテゴライズされる旧世代の左翼人」を賛美するということ、それに代表される丸山真男への好意的解釈がこの本の前提にされるとして、丸山を批判しつづけた吉本隆明や新左翼に対して冷淡に写るのはしごくもっともなことだ。それに、吉本が社会的パラダイムの変遷、高度経済成長期から大衆消費社会へ移り行く中で、簡単に言うと家族主義的になってしまったことまで追っていくのであるが、まぁ、これは大半のノンセクト・ラディカルまで含めた同世代人たちもそうした「新しい家族」を形成していくのと同列ということだけだろう。詩人とは、新しき言葉を紡ぐ者のことを言うのであるが、吉本は詩人である。小熊が「名前のないもの」に新たな意味と名が付与されていく過程を分析するときに、社会学者として「新しき言葉」では説明しない。いや説明できないのであろう。文芸批評家であればそれは可能なのかもしれない。一応、カルチャラル・スタディーズとしてもアカデミーの領域での言説にはそうした限界を伴わざるを得ないのかもしれない。まぁ、それでも「1968」でも当然吉本は頻出してくるのであるが、その「詩的」な文言はほとんど記述されていないから、吉本や新左翼に対してはやっぱり冷淡かもしれない。
まぁ、兎も角もである。その時歴史がどう動いたか、を概略する意味でも素読して時間が惜しい本ではない。それを参照しつつ、ある一点を深化するときに誤謬があるのであれば、読者自身で訂正しておけばいいことだ。それとも、そのまま誤読しておいてもいいかもしれない。実際、全共闘時代の若者は吉本を大いに誤読して受け入れていたのでもあるから。


ポストモダニカル アンハピネス [ちょっと哲学的]

吉本隆明1968  鹿島茂

吉本隆明の本はついに読んでないサイコである。まぁ、栗本慎一郎との対談本である「相対幻論」を吉本の著述であるとすれば、唯一それだけで、もう20年以上前に読んだきり何が書いてあったかさへ、忘れてしまっているし。さて、その吉本が全共闘の時代前後に、あれほどまでに人気を持って熱く読まれていたのかを、全共闘世代である著者の体験なども通じて書かれたものである。しかしながら、 吉本は「反・反スタ思想家」なのであるから、いわゆる新左翼のセクトの活動家たちに熱狂をもって読まれるべきものとは違っていたはずなのであるが、難解な吉本の語彙にまつわる思想を彼/女らはかなり誤読しながらも受け入れていたようである。さて、第2章 日本的な「転向」の本質、において中野重治の「村の家」を解説する吉本を論じているのであるが、その当時以前、要するに大東亜戦争時からの左翼思想家たちの「転向」を論ずるにあたり、日本人的な気質について論じている。著者は、この気質をもとに「半日本人」と「無日本人」という選別をしている。「自己疎外した社会のヴィジョンと自己投入した社会のヴィジョンとの隔たりが、日本におけるほどの甚だしさと異質さとをもった社会は、ほかにありえない」とする吉本の言説を簡易にするためであるのだが、敢えてそれは書かずにおくが、転向者の心情として「日本封建制の優性遺伝」をまざまざと見せ付けられたときに、自己の中で眠っていた「半日本人」が覚醒し、転向してしまうということである。かたや、自然主義者(田山花袋、島崎藤村、徳田秋声、正宗白鳥)は、「家」の前近代的な封建的劣勢を攻撃のターゲットとしていたのであるが、「無日本人」とはそこにマルクス主義(など科学主義)の教義性を優性と思い込み、まさにブルジョア資本制を打倒してプロレタリア独裁による無政府、無国家を夢想する者らである。「無日本人」には「日本封建制の優性遺伝」の自覚はみじんも無く、マルクス教義を優性とする無国籍者、エグザイルなのである。さて、著者が見るところ、吉本はこの両者を批判し、第3の道を模索する上で中野重治の転向、「村の家」を批評する。ところで、大塚英志江藤淳と少女フェミニズム的戦後でも「家」に纏わる話で、中野の「村の家」を取り上げていたりするのであるが、「江藤~」では江藤淳の移り住みの「家」という夫婦での放浪が基底にある。「家」=家父長制=封建制が、戦後民主主義によって解体される過程の中で、家父長制を保守するために戦後民主主義を批判したわけではないのだが、江藤の場合、天皇制という最大の家父長制を擁護することで最終的にはそうした図式のようにも見える。まぁ、余談がながくなるので詳細せずにこれも第3の道のひとつということで切り上げるとして、中野の「村の家」から吉本は、ありのまま(現実の社会、大きな政治が細分されているところの個人が介在させられる政治)という現実を直視し、挫折を超え出るための「個の深化」を第3の道としているのであろう。これは竹内好に通じるところもあり、事実竹内の著述も当時の若者たちにはよく読まれていたのである。
さて、中野を評価する吉本であるが、中野と同じ共産党員である小林多喜二に対してはボロクソである。同じく最近よんだ浅羽通明アナーキズムにも少しだけでてくるのだが、昭和初期当時に共産党員であることを隠すための工作として、女性党員との間で偽装して結婚生活を営む「ハウスキーパー制」なるいわゆる性奴隷制度があった。この党員の生活を綴ったのが小林多喜二の「党生活者」であるが、その文学的価値もさることながら、人間的価値に対しても「低劣な人間認識を暴露した党生活記録」として断罪するのである。これを吉本は「引きずり下ろしの民主主義」の正当化とみなすわけであるが、これは大塚英志いうところの負の特権意識のことを言ってるようだ。女性党員の不平に対して多喜二は「多くのプロレタリアの苦悩を思えば取るに足らない」として自己の生活が犠牲となっている党員生活を、革命の過渡上の犠牲として女性党員の不平を全否定するわけである。しかし吉本は、個人を救えない者が万民を救うことが出来るわけがないとして、党生活者の欺瞞を糾弾する。マルクス主義者の卑劣、スターリニストの卑劣をとことんやり込めるわけである。
そして、第4章 高村光太郎への違和感、で吉本が光太郎が終戦時に詠んだ詩に対する違和から、光太郎の「転向」の問題に遡行していく。光太郎は、多くの左翼知識人の転向とは全く違う仕方で戦争賛美に傾斜していったことを、吉本は紐解く。転向ではなく必然、自然の流れであった、と見ることも出来るのだが、当然そこには吉本本人の皇国少年が重なってくる。詳細は省いてどんどん進むが、「かつて智恵子との個人的な生活上に構築した「自然」法的理念を、光太郎なりに時代の大衆的な動向に社会化しようと試みた」結果、戦争という浄化作用を光太郎が希求した結果ということである。ヴェルハーレン的自然法思想が大きく影響しているのである。それは、「氷河期到来による人類滅亡願望という「超越的倫理観」は、光太郎が世界性と孤絶性の葛藤を回避して、関係社会意識の構築を拒否するために編み出した自然法的な理念(セックスを始めとする人間関係をすべて自然法にもとらないという観点から律していこうという姿勢)から、ある種、必然的に導き出されたものであった」のである。
「大衆の原像」から「自立の思想」へ 、それは全共闘という時代とパラレルなかたちではあったが、高度経済成長へと社会的パラダイムが移行していく中で、全共闘世代の彼/女らが個人の感情を的確に表現できる「言葉」を持っていないところに、これぞと思える、幻惑、魅惑的な詩的な「言葉」を提示させられたから、感受したということなのであろう。セクト、新左翼運動家にとってそれが、マルクス主義の概念語であったのと同等に、「反・反スタ」の詩的言語をも受け入れられた人間としての矛盾。存在の耐えられない軽さ、の日本の封建的優性遺伝子が「現代的不幸」という腫瘍に侵され死滅するかのごとく。




アンドガタリ [ちょっと哲学的]

いやはや、3月ももう終わりに近づいている。桜もちらほら咲き始めているし、そろそろ本腰入れて社労士の勉強を再開しなければいけないのであるが、思いもよらずに、ネグリハートの共著で知られる帝国小熊英二1968(上)なんて本を読んでたりする。この両方ともかなりのページ数である。2週間リミットで読みきろうとするのであれば、どちらか一冊に絞ったほうがいいのだろうが、例によって、家で読むのと会社で読むのとを分けていたりするものだから、結局どっちつかずで両方とも途中読みで返却なのである。それで中途までの書評をとも思ったのだが、今回は「帝国」を読むのであれば、又マルチチュードを読むのであれば予習的に読んでおくべき本を紹介しておこう。

千のプラトー  資本主義と分裂症  ドゥルーズガタリ

 まずキーワード。ノマド(遊牧的)、戦争機械、条理空間VS平滑空間(必ずしも絶対的な区分があるわけではない)、ブラックホール&ホワイトホール(うず巻き)、器官なき身体、リゾーム、リトゥルネロ、etc.
 本書の書き出しは、地層の話から入るのだが、いわゆる堆積した層の区分が歴史のなんたるかを示しているというようなことで、ただそのボーダーな部分、どっちだろうというような臨界点への掘り下げをしていくわけである。意味は違うかもしれないが、本を横積みにした景観は、一種地層的な感じがする。当然、断層もあるわけで。これは、バシュラール的な知の断絶を呼び起こす。地層というのは、人の歴史以前から積み重なってきているもので、そこから始まって、現代資本主義までの総体まで思考するわけだから、すごい話である。
 黄砂の粒子としての浮遊性は、がちがち条理空間にいる日本人に別の干渉を与えてくれる。
 現代資本主義におけるストックの捕獲装置がどういうものなのか、あらゆる学術から多元的に分析している。そうしたリゾーム性による資本集中の図式、形式とともに、条理空間(現代都市)において、その中で平滑空間(海、空、砂漠など)を作り出す個別的な創造性を分裂症的と看做しながら、その起源的なものは、すでに遊牧民、あるいは戦争機械というものに古代から見てとれるということである。そうしたところから、現代はテクノロジーによってなる条理空間ではあるが、古代都市(条理空間)においても資本(ストック)の捕獲形式には大差はない。ただ、現代社会では、個別的な上に脱領土化→再領土化のサイクルが早い、絶え間なく繰り返されている。
 この書の分類は勿論哲学に入るわけであるが、作者たちは意図的にカテゴライズを拒否するかのような哲学的ではない概念を使用して、現代資本主義を分析しているが、そのひとつがリゾームである。日本語的に言えば、芋かと思う。イモ、ジャガイモが近いのか、切片性という概念も出てくるので。切り口だけからとは限らない。どこからでも芽が出て果実になっていく、いわゆるストック化するというのが、資本主義に限らず、知の場面でも言えるということか。であるからして、彼等からもらったこの種イモから、新しい花を咲かせて、新しいイモを増やす(分節化、分裂)という事であろう。そんなことで、わしもちょっとだけ花咲かせてみようかという気である。ミル・プラトーという音楽レーベルまであったくらいだから、多元多様体としてのイモは拡散しながら増えているのだろう。

さて、これもアンチ・オイディプスの続編として出された本であるが、656ページあるからかなり読了するのに時間がかるかもしれない。しかしながら、このポストモダンを理解したならば、「帝国」あるいは「マルチチュード」の概念はかなり分かりやすいのではと思われる。ネグリ等は理論上の今を措定するのにポストモダンを大幅に援用しているからであるが、彼等の学問的なカテゴライズはポストコロニアリズムをも標榜する現代世界論という観念論をベースとする哲学ということになるだろうか。まだ、中途読みであるからして、結論はいそがないのだけれども、取り敢えず、〈帝国〉とは。「〈帝国〉が、私たちのまさに目の前に姿を現している。この数十年間に、植民地体制が打倒され、資本主義的な世界市場に対するソヴィエト連邦の障壁がついに崩壊を迎えたすぐのちに、私たちが目の当たりにしてきたのは、経済的・文化的な交換の抗しがたく不可逆的なグローバル化の動きだった。市場と生産回路のグローバル化に伴い、グローバルな秩序、支配の新たな論理と構造、ひとことで言えば新たな主権の形態が出現しているのだ。〈帝国〉とは、これらグローバルな交換を有効に調整する政治的主体のことであり、この世界を統治している主権的権力のことである。・・・・・近代的主権は、どこに根を下ろそうとも、かならずや一個のリヴァイアサンを構築したのである。このリヴァイアサン自身、自己のアイデンティティの純粋さを保全し、それとは異なるものすべてを排除するための社会的領域全体を支配し、階層的な領土的境界を強いてきた。」(『<帝国>』p3-4)。<帝国>とは、そうした近代的主権の全く逆、というような主権として、まさに「宇宙的」な拡散、膨張を刻々と持続するのである。その経過というものが、ドゥルーズとガタリが語ってきたものを引き継ぐ形で批評されるわけであるが、パスティーシュのように思ってしまうのは、サイコが常に既にパロディアンであるからだろうか[ふらふら]





変換異説 [ちょっと哲学的]

甦る怪物(リヴィアタン) 私のマルクス ロシア篇  佐藤優

ソ連崩壊の歴史的瞬間に身をおいていた若き日の佐藤。日本の外交官でありながら、モスクワ大学で教鞭(プロテスタント神学)を執っていたり、ソ連科学アカデミー民族学研究所の客員研究生であったりと、当時のソ連エリートや政治家などとの深い人脈を構築していた。これを読むと、佐藤はほんとに凄いのである。鈴木宗男関連で逮捕失職することがなければ、北方領土も返還されていたかもしれないほどの人物である。まぁ、構成上の問題や効果などのためにいくらかはフィクションも入っているだろうが、それにしても歴史の舞台裏を少し垣間見るような感じである。
ここで重要なキーワードとなるのが、ユーラシア主義である。ウィキの解説とやや異なるのであるが、ピョートル・サビツキーのユーラシア主義は、「ヨーロッパとアジアにまたがるロシアには、独自の文化と発展法則があり、ロシアはそれ自体として完結した世界であるとする思想。西欧の一元的な進歩の思想を否定し、普遍主義を拒否し、多元主義を称揚する。お互いに出入りする窓のないモナド(単子)が切磋琢磨して、世界は構成されているとするライプニッツのモナドロジー(単子論)と親和的な考え方。」としている。ユーラシア主義者は、ボリシェビズムとファシズムの共通性を強調し、それを肯定的に評価する。動員型政治を展開したムッソリーニ指導によるファッショ・イタリアもソ連と同様とする。ちょっと余談にはなるが、このユーラシア主義でファッショ的言説を排したとすれば、ネグリのいうところのマルチチュードにも繋がるのではなかろうか。というのもマルチチュードは多元モナドロジーと親和的であり、インターナショナルの一元性を超えた多様性を認めるものでもあるからだ。そして、ファシストではないとしてもネグリはイタリアのマルクス主義者であるという点で、非常に両概念は似ているように思う。
さて、肝心のソ連崩壊への道程であるが、民族問題がないはずのソ連において民族主義が台頭してきたことが、ソ連崩壊に繋がったということである。エトノクラチア(民族統治主義)を標榜しようと各民族主義者らが声高に民族自決を煽りだした背景に、当時ゴルバチョフ政権下で進められたペレストロイカが関連している。ペレストロイカはソ連邦に市場型経済を緩やかながら導入することによって生産性を向上する狙いがあったのだが、それはソ連邦を構成するロシア以外の資源を有する主権構成国家に近代的資本蓄積という土壌を生んだ。また、連邦制議会の選出議員の選挙方法も改正されたことにより、中央集権型(ビューロクラチア)の上から下への通達型政治に変調をきたすこととなる。それまで中央(クレムリン)に集中した超一流エリートたちによって大ソビエトをひとつに束ねることが出来ていた共産党官僚政治に、主権構成国家において議員に選挙せられるために二流エリートにあっては、民族意識を扇動することが最も簡易にしていわゆるそのエトノスの支持を得やすい結果となった。これによりクレムリンのロビー活動とも絡み、地方の二流エリートたちが主権構成国家の主導部に入ることで、主権国自体が政治的に弱体化もし、それは当然にソ連邦の弱体化でもあたのである。ソビエト連邦が一枚岩のごとく強固なときは、ソ連というナショナリズムによって辛うじて一体性を保つことが出来ていたのであるが、急激な社会変革に晒されたときに弱体化した政治機構が執るべきは力づくの引き締め、弾圧であるが、中央のこの政策は、弱体的主権構成国家(経済的には強固な国もある)には台頭した自民族主義にかえって反動を与えるばかりであった。スパイラル的に中央と地方の政策に対するズレがまさに軋轢となって、度重なる民族間同士の紛争も起こり、ソ連崩壊はいずれにせよ時間の問題であったということだ。そして、執拗低音としてロシア史に常に流れるユーラシア主義が、ロシアをも含めて主権構成国の独立へと流れていくのである。
以上が簡略なソ連崩壊の根底であるが、ほかにこの本に頻出するのが、人脈構築や議論形成の重要な役割を果たす、カフェであったりレストランでの会食である。そこでよく登場するのがゴルバチョフ政権下で設立された第一号協同組合カフェ、クロポトキンスカヤ36番地協同組合カフェである。カフェといってもいわゆる酒も飲める食堂みたいな感じであるのだが、ここで佐藤、相手もいるのだがウオトカ、飲むは飲むは。毎回、最低でも2本!(てことは1升)は空にしているのである。破格である。今更ながら東京地検特捜部というのは「国益」を損ねる部署として映ってしまう所以である。そして、佐藤はある民主党応援哲学者と懇意にしているようであるが、この会食の描写の挿入というのは、ドストエフスキーというよりもトルストイに近い感覚を覚えた。まぁ、帝政ロシア時代の食卓の風景なんぞ研究してもしかたないから、ドストエフスキーなのだろうけど、最後にサイコとしての究極の民主党支持率アップ作戦を披露して締めたい。
北方領土返還! そしてそこに米軍基地移設! 北朝鮮よ、核ミサイル打ち込んでもいいぞ! なんて望んでないが、4島返還があらゆるオプションに使えるのだから、これをアメリカが「疎外」することは両国の国益にとってよくないはずなのだが・・・



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プレゼン [ちょっと哲学的]

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 ● HAPPY! Valentine's Day! ● 


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先回であるけれども、雨宮処凛ロスジェネはこう生きてきたを紹介し忘れていたわけではない。まぁ、書き手が同じだからプレカリアートとかワーキングプアの反撃とか貧困と愛国とかで書いたり言ってることとほとんど同じなので、改めて書くこともなかっただけである。参考までにかなり前に他のブログで書いた貧困と愛国を読んでもらえれば分かるだろうか。それと最近イタイ人ウオッチャーになっているような感じになってしまってもいるのだけれど、例の山崎先生と雨宮、佐高信が同席した共同講演会なるものも開かれていたこともちょっとだけ参考になるだろうか。というのも、よしりんと諍いのあった例の佐藤優も右派論壇として同席しているからである。右も左も関係ねぇー、はわかるけれど、この取り合わせは、限りなく左に近い右派と限りなく右に近い左派じゃないのかな。まぁ、だから右翼マンガとか言うわりに右だし、大江健三郎は左っぽいと思うけど擁護したりするから、イデオロギーで騙ること自体が彼/女等には無効なんでしょう。まぁ、だけど無茶苦茶クセのある人が集まってどんな講演だったのか、非常に興味は沸く。それで動画を探したらYou Tubeにあった。うーん、普通だ。全共闘時代のような乱闘はない。そのまま動画貼り付けてもいいんだろうけど、まぁ参考までにURLだけのっけておこう。
http://www.youtube.com/watch?v=AU-ojU3Pcl0
http://www.youtube.com/watch?v=_PnXI-tcyZA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1VI9HHisT2o
http://www.youtube.com/watch?v=4ifnGckyDj8
http://www.youtube.com/watch?v=yKAGf5CNmpY

うーん、だけど佐藤が言う、左翼の運動がいいと思ったら、右翼は邪魔するな。金を出してやれ。っていうのは、60年安保のときのブントのままじゃないの。まぁ、実際、70年の七・七告発以後の新左翼の運動の一部にはそうした関係での左右の共闘もままあったようではあるのだけれど、月刊日本の主幹は原稿料払えないくらい「貧困」らしいから、右翼=金持ちという構図でもないみたいだね。というか月刊日本救済キャンペーンだったんじゃないか。あー、だけど肝心?な雨宮はどこに映ってたんだろう。



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仮構か加工か書こう [ちょっと哲学的]

じゃあ、読もう。は「2010国民読書年」のキャッチフレーズだそうだ。本を読むぐらいで、気合を入れてどうする。そう思うのはプレソホリックなサイコのような人には当然、らしい。しかし、まぁ、サイコの他のブログで毎日の夕刊に対する懸念を書いたことがあるのだが、出版業界の焦りというものも新聞のコラムを書くような人には他人事、らしい。活字離れの轍を踏まないように思考するのは新聞業界も同列だと思うのだが、紙幅の関係でそこまで書けなかったのかなぁ。まぁ、コラムというのは字数の制限の中で多くを騙らなければならないからねー。まぁ、読者は誤読する、という了解で書ければ、かなりのエセーは読者を引き込むことが可能なのだろうけど、報道にはある種の制約が付きまとうからなかなか難しいけれどね。
ということで国民読書年である。優等生のサイコの最近のラインナップを紹介しておこう。

帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性  アントニオ・ネグリ マイケル・ハート

江藤淳と少女フェミニズム的戦後  大塚英志

ロスジェネはこう生きてきた  雨宮処凛

吉本隆明1968  鹿島茂

小林秀雄とベルクソン増補版 「感想」を読む  山崎行太郎

天皇・反戦・日本 浅羽通明同時代論集治国平天下篇  浅羽通明

1968(上) 若者たちの叛乱とその背景  小熊英二

と全部で7冊も借りてしまっているのだが、全部読めるわけもない 「1968(上)」は予約を入れてはいたのだが、どうせ借りられないと思っていたら、タイミングよく借りることが出来た。借りたはいいけれど読み切れないよなぁ まぁ、取り敢えず「江藤~」と「ロス~」と「小林~」はなんとか読み終えた。搔い摘んで「感想」を書くと、「江藤~」と「小林~」にある種の共通点があった。これは狙って借りてきたわけではないのだが、たまたまである。初出の時期も10年ほど経っているので01年に上梓された「江藤~」の方が後になるのだが、まず江藤淳は初めから共通点であることは知っていた。大塚は単なるファンであるが、山崎は弟子である。そして、批評の角度は全く違っているのであるが、両批評本で一章を割いている作家が三島由紀夫である。それで、大塚がいうとところは「サブカルチャーとしての日本」であり、三島の仮構性(フェイク)を江藤に即していっているのであるが、山崎がいうところは小林秀雄という批評家に対峙するための小説家としての三島の誕生、ということになるかと思う。両批評は、それぞれ江藤について、小林について書いているわけなのだが、三島をいわゆる「戦後民主主義」に対する反時代性の代表として、その終焉、三島の終焉以前の先輩批評家である小林、江藤をなぞることで、終焉以後の山崎、大塚という批評の変遷ということも言える。更に大塚に則していうなれば、山崎は小林になることもコピーとなることもできないけれども、江藤を仮構して小林の「原理的思考」を展開しているのではなかろうか。翻って、大塚は多分、批評家の仮構ではなく、「原理」の二次生産、あくまで加工としての批評であるかもしれない。まさにサブカルチャーを地で行っているのだ。






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ギゾー [ちょっと哲学的]

今日のタイトルでピーーィンと来た人はほんとの意味で凄い人である。が、今日はピーーィンとこないことが主流である。まぁ、それはそうとして、こんな駄文を書いているのであるが、サイコの左手が昨日あたりから機能しなくなってきている。いや、まったくもって使えないわけではないのだけれど、タイピングの感覚が気持ち悪いというか、中指、薬指、小指に軽い麻痺感があって、滑らかにスムーズに動かせないものだから、左手でのタイピングは不可能になっているのである。それと思ったキーに指を運んでいるはずなのだけれど、一個下をたたいてたりするものだから、取り敢えず、右手のみで書いている状況である。うーん、卒中のような、その前触れのようなものであろうか。まぁ、自分のことについて書いていくとだんだん暗くなってくるので、タイトルの話に戻ろう。ギゾーとは人名で、今巷で騒がれている偽造のこととは関係ない。「文明論之概略」を読むの原書である文明論之概略福澤諭吉がタネ本としてギゾーのヨーロッパ文明史を使っているのであるが、この文明開化の俊英が引用しないようなところを強調的に引用する著がある。ネグリハートの共著で知られる帝国であるが、取り敢えず途中読みであるので、あまり深くはかけないのだけれども、「概略」との比較をするまでもなく、「帝国」はポストコロニアルであり、「概略」はアンチコロニアルである。という視点を日本の学者は持てると思うのであるが、翻ってイタリアの学者の盲点をつくことが出来るのでは、というかあんまり関心ないのかも。取り敢えずここまで。




進め!民族独立行動隊 [ちょっと哲学的]

〈民主〉と〈愛国〉  戦後日本のナショナリズムと公共性


第7章 貧しさと「単一民族」―一九五〇年代のナショナリズム

第1部が戦前、戦中そして小熊英二の分類による第一の戦後(1945~55)までを考察していると考えていいだろう。ただ、その第一の戦後と第二の戦後(1955~90)との分岐にあたる1954年、55年体制が成立してくる過程において、戦後10年間、まさに第一の戦後における日本共産党の活動はかなりに過激なものであったようだ。第2部は、まずこの10年間の共産党の活動を軸として、第8章 国民的歴史運動、第9章 戦後教育と「民族」――教育学者・日教組、で共産党との深い関連において論考が加えられている。それで簡単に、日本共産党(日共)のその10年を追ってみる。
ここで注目されてくるのは、要するに戦中「転向」することなく投獄生活を強いられていた徳田球一宮本顕治が終戦となってGHQにより政治犯として釈放されることだ。ここから戦後10年の日共の怒涛の活動が再開されるのであるが、彼ら二人に欠けていたものは、なんと戦争体験であった。戦中を監獄の中で過ごしているから当然なのだが、これが日共にとって致命的なこととなる。丸山眞男大塚久雄など所謂日共が批判するところの「近代主義者」や「主体性論者」は、自らの戦争体験から戦時中に見出すことのできなかった「利己的享楽の功利主義」を排した「一個独立の人間」を模索するところから始まるのであるが、まるで大東亜戦争がなかったかのごとく戦前より続く20年変わることないマルクス主義理論を基に活動が再開されていたのである。しかし、1945/10 日共幹部が解放されるところから始まったのであるが、国際情勢にも大きく翻弄されることとなる。まず1949/10 ソ連の軍事的支援をもとに、毛沢東が中華人民共和国を樹立することとなる。ちなみに辛亥革命(1911)によって樹立していた中華民国は現在の台湾へ逃げ込むような格好で遷都することとなる。そして、1950/6  朝鮮戦争が勃発する。詳述は省くが、北朝鮮を支援したのもソ連であり、共産主義の猛威にアメリカが焦りだしていたことは間違いない。ソ連はコミンフォルムを通じて日共にも介入していたようであり、この国際的な流れを日共も指標としてしまったことで、早くから共産主義体制の矛盾の中に自ら流されていってしまう。労働者個々人の精神的な独立もないままに、(プロレタリア)階級という集団が革命によって勝ち取るものとは。そうしたマルクス主義的な、しかし実はスターリニズムであったわけなのだが、戦時とは違う全体主義的な様相を日共は現すようになってくる。GHQにより幹部が釈放されたときにはアメリカを解放軍として歓迎していたのではあるが、国際的な共産勢力の脅威から、アメリカが日共に対しても圧力を加えてくるに至ると、当然日共は反米ナショナリズムを標榜してくる。それで党がひとつに結束されていたかというと実に泥沼的な細胞分裂は始まっていた。1947/12 東大細胞分裂事件(雑誌「近代文学」に影響された東大学生党員が分派活動を行ったと非難され、日共が戦後初の大量の除名処分をした事件)、1949/1 衆議院選挙では35議席獲得してはいるものの(定数466議席)、1950/1 コミンフォルム批判への対応めぐり、徳田球一などを中心とした所感派と、宮本顕治ら国際派に内部分裂、主流派となった所感派の主導の下で平和革命路線は放棄、革命に向けた武装闘争にむかっていく。1951/8 コミンフォルムが所感派支持を表明、国際派は査問にかけられ自己否定を強要され、または除名されていった。こうしたことも含め、過激な活動が仇となって1953/4 バカヤロー解散時の選挙では1議席、しかも当選の徳田は北京に亡命しているという結果である。その一月前にソ連ではスターリンが亡くなっている。1953/7/27 朝鮮戦争停戦、10月には徳田が北京で客死している。1955/7 前年54年ごろから方針転換の兆しを見せていた日共は、六全協により武装闘争路線を完全放棄して党内抗争は完全に終止符を打つ。
まさに小熊のいうところの第一の戦後において、日共の怒涛のような政治活動は展開されていたのであるが、この共産党の行動だけからでも国内だけに留まらず、国際情勢をも見通せるとは思うが、それにしても混迷を極めた時代であったようである。朝鮮戦争によって米ソの対立が浮き彫りとなり、長い冷戦体制へと移行していくわけである。



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